下りホームに立って考える事。

最寄り駅、改札を入って左側。下り方面のプラットホームに立つと、あの頃を思い出す。二日に一回は使う駅の、今では懐かしい景色。僕も、何もかも、変わった。

 

あの頃、高校一年生、単願推薦で楽に入学したあの私立高校へ通っていた頃。

 

友達と呼べる友達はほとんど居なかった。その頃、同じクラスの誰もが自分と違う世界にいる人間に見えていた。

 

辛かった。朝6時半に起きて、7時に家を出る。もう、本当に苦痛だった。

何故?と考えると、今ではちゃんとは分からない。あの頃の感覚は、思い出せない。

 

通学に片道1時間半。内訳は電車一時間、駅からスクールバス30分。そこから授業。殆ど寝ていたらしい。自分ではあまり記憶が無い。自習している訳でもないので小テストは悲惨、毎回居残りに呼ばれるが、行ったり行かなかったり。昼食は弁当、母親の手作りだったがほぼ食べなかった。なんせあの頃は本当に食欲がなかった。

 

ある日も、7時に家を出て、そして電車に乗った。学校の最寄り駅は路線の終点。そこに辿り着くまでに僕は、いつもと同じように体力を多分に消費した。

僕は周りの高校生と同じように電車から降りて階段を登ろうとする前に、それを諦めた。

ホームで母親に電話した。体調が悪いから今から帰る、と。そして僕は上りの電車に乗った。通勤ラッシュの上り列車だが、終点から乗れば座れるのだった。家に帰って制服のまま布団で寝た。泣いていたかもしれない。

 

その日が境になって、僕は学校をサボるようになった。

昼に起きる。学校に行かなかった罪悪感。皆頑張って勉強しているのに。社会人は仕事しているのに。

日中に家を出るのが怖かった。ほとんど何も食べられなかった。テレビやYouTubeを見れなくなった。

夜になると気分は更に沈む。今日こそは学校に行かないといけない。布団の上に座り、泣きながら死にかけの思考と闘う。そのまま朝になる。結局学校には行けなかった。

 

学校まで行けた日もある。それでも授業中は寝た。体育は保健室でやり過ごした。教室の扉のその真ん前まで行って、引き返して来たこともあった。そんな自分をますます嫌いになっていった。

 

毎日、夜に泣いた。外に居ても、突然泣きたくなる事があった。必死に抑えようとしたが、できなかったこともあった。

 

次の3月。

2年生へ進級ができないと言われ、僕は通信制高校へ転入学した。

 

 

僕はあの感覚を、もうほとんど忘れてしまった。多少なら思い出せるのだけれど、でもやっぱり、ほとんど覚えていない。

他人に優しくしなきゃ、と思う。でも今、それができなかったりする。

 

あの感覚を完全に忘れてしまう日に、僕はどうなるのだろう。

僕は、何のためにあんな経験をしたのだろう。